1990年(平成2年)

1月 ビデオ ひげなしごげじゃばる       (原画) これは歌のタイトルで たしか20年以上も前にNHKの「みんなのうた」の
中で発表された曲。こういう子ども向けの歌を集めたビデオを作るという
シリーズ企画ものがあってこの曲の演出を「ニモ」の監督がやっていた。
一曲まるまる描いたのは、未だにこの作品のみ。30カットしかないけど。
2月 版権 マクロス、みなしごハッチ,ガンダム0080 アートミックからの仕事。マクロスはなんかのパッケージ、みなしごハッチは雑誌「めばえ」の中の挿し絵、ガンダム0080はノートと鉛筆と筆箱。
作品と関係ないひとが描いてこんな風に商品が出来るんですね。でも、
今だから分かるけど・・・安かったです・・。1枚あたり3000〜5000円
このあと時々仕事でつきあうことになるが、数年まえに潰れましたね会社
2月 パイロット コロンブス(原画) 佐藤氏演出による日本アニメーションの仕事。パイロットなので結局、
人目に触れる事も無く、企画も通らず作品としては実らなかった(・・・よね?)この頃、「シャコタン・ブギ」が進行中でした。
2月 TVSP ルパン三世「ヘミングウィイペーパーの謎」    (原画) ちょうどオープニングにあたるところを担当。メカが苦手と思っていた
ところにきたバイクと飛行機のシーン。やればできるんだと少し自信を
くれた作品でもある。今みるとたいした内容ではないが、記念にと制作に
頼んで原画を回収して未だに捨てられず手元にある。
4月 ビデオ シャコタン・ブギ
(キャラクターデザイン
 ・作画監督)
アニメーションとしては初のキャラクターデザイン・作画監督である。
アニメーターとしての自分の基礎(いろんな意味で)となる作品、仕事で
ある。話をし出すとつきないが、車も全て自分でキャラ表を作った。
メカが苦手ということもここでだいぶ薄れた、というより面白味を見つけた感がある。監督の佐藤氏もこの作品が初監督作品。ポニーキャニオンとの繋がりが出来て「KEY」に繋がることとなる。この仕事をやる事になったきっかけはあの・・・「ニモ」での『約束』に他ならない。
この頃は、「夕食食べにいくぞ」と云いながら飲み屋ののれんを潜っていたので、酒の方もだいぶ強くなった。そんな中当初4話制作の予定が4話分
のスケジュールで2話しか作れず、佐藤氏と自分は3話の準備中に手をひく
事となり、童夢が引き継ぐ形となった。
なんとも後味の悪い締めくくりとなってしまった。

1991年(平成3年)

4月 劇場 サイレントメビウス
       (原画)
AICとしてはひょっとして初めての劇場?かな。33カットやったが、
レイアウトはすでに上がっていたので助かった。ある原画マンが事情に
より出来なくなってしまったシーンを引き継ぐ形でやった仕事。
最初のところ・・・ねずみの出てくるあたり・・・。
4月 劇場 老人Z(原画) APPの仕事。北久保氏に直接頼まれたもんで・・・。でも断わろうとして
「2カットくらいなら・・・」と(内心、いくらなんでも2カットなら諦めてくれるだろうと踏んでいたのだが・・・)。そしたら、それで良いという事に・・・・なぬッ。ということで鉄くずが崩れるところを本当に
2カットだけ手伝いました。
5月 ビデオ 帝都物語・魔都編
       (原画)
作監の大橋氏がやってたので引き受けたようなもの。(シャコタン・ブギ)でお世話になったもんで・・・。ほんとに人の付き合いで仕事が成り立っていたりする業界だよね。37カットやってるけどラストの方。呪文を
唱えて鬼門ができるとこ。千明氏の演出がちょっと気に入りました。
7月 劇場 ラーマ・ヤーナ(原画) ほとんど知られていないであろう作品。実はやった自分でさえ観ていない
業界では、ギャラが良いと噂のあった作品で、広尾にスタジオがあったのも怪しいと云われた要因。92年の5/3にラストカットを上げたが合計
27カットしかやってないというなんと1カットに2ヶ月掛ったのもある。
ひょっとして日本アニメ史上最も多いキャラのモブシーンではないかというカットをやってた。ちゃんと見えて走っている猿が1枚に約300匹。
インドラの矢に吹っ飛ぶこと2回。他にも100匹くらいの猿が画面の中で
動いているというのもいくつもあった。3年後くらいにアニメの業界の現状についての本が出版されてこの作品を「とんでもない動画をやらされる」とか云われて随分批判めいた事を書かれていた。最もその話をした人は、
どんな人か分からないが絵心を持たない上手く描けない人だったに違いない。その本を読んで随分いやな気分になったのを今も忘れない。
8月 ビデオ ゴエモン(原画) ゲームのゴエモンの宣伝用?ビデオだったかな。おもちゃ屋さんの中とか
でも掛ってたりするやつ・・よく覚えていないけど、31カットやってる。
ラーマ・ヤーナをやりながらだったのでしんどかった筈なのだが、気分転換にやってた。監督の井出氏とは今後ツインビーやスーチーパイとかで
仕事をすることになる。自分の原画を気に入ってくれたらしい数少ない監督である。

1992年(平成4年)

5月 TVSP ルパン三世「ロシアより
 愛をこめて」(原画)
レイアウトのみが43カット、原画のみが8カット、原画が40カット。
1ケ月半でやってる。やっぱりこうゆうのが性に合ってるのかもしれない。
5月 ーーーーー タイトル未定
  (イメージボード)
近未来のF1を題材にした作品の企画にサンプルとしてつける為の画。
企画としては通らなかったみたい。未だにイメージボードってこれしか
描いて無い・・・。それも1枚のみ。
6月 ゲーム メガCD・サイボーグ009           (原画) サイボーグ009のゲーム物。AKIRAの時に知り合った友人がゲーム会社
日本テレネットで企画したもので作画を担当してるのは、たしか3.4人では
あるがAKIRAのスタッフ。自分は73カットやってる。容量の関係であまり
派手には動かせない。殆ど止めに近いが、そのわりに単価がいいのは
ゲーム業界ならでは。それは今も変わらない・・・がいつまで続くやら。
6月 ビデオ グリーンレジェンド・乱
       (原画)
当時パイオニアが企画したアニメ5大タイトルの一つ。この「乱」「機神兵団」「モルダイバー」「バスタード」「天地無用」とこの5つだったかと。
このうち後の3タイトルがAIC制作だったのだが、結果的に全てがAIC制作
になってしまった。まっ、いろいろ事情があるんでしょ・・きっと・・。
で、この作品はAICで「天地」Vol.5の作監の佳境に入った11月頃、MTV
が解散となり年内に完成という事態に・・・。32カット持っていた自分は
作監やりながらは無理と判断されBGのみのレイアウト4カットをやった事で回収させられた心残りな作品となった。MTVの制作がAICの自分の机の
後ろで、にこやかに手を振って居たのには驚いた。
7月 ビデオ 天地無用Vol.3
   (レイアウト修正)
12日間で53カットのレイアウト修正。これが「天地」に携わった最初の
仕事である。正確には原画はやってない。
7月 ビデオ 獣兵衛 忍風帖(原画) マッドハウスの川尻監督作品。箕輪氏の修正集を見てやるんじゃなかった
と後悔しながらやってた。ただレイアウトが戻って来たら動きのラフは
川尻氏、キャラは箕輪氏がわりとしっかり入れていたので、ある意味楽だったかもしれない。でも忍者たちが荷物を担いで船を往復するという
ちょっとしたモブシーンだったのは、やっぱり・・・・である。31カット
7月 ビデオ バスタードVol.2
(原画)
誰かが出来なくなったかなんかで急いでやってくれと12カットだけ頼まれ
てやった。キャラ的にはちょっと苦手です。恩田、越智両氏の特徴が濃かった印象があります。最もこの頃だとおもうけど恩田氏は別な作品で
絶大な評価を得てましたね・・・。ウフッ・・・・?
8月 TV合作 レポーター・ブルース
       (原画)
これはムービーの作品だけどキャラが杉野氏ということでやる事を決めた
という・・・。なんてミーハーな私。やってても意外に楽しかった。殆ど日常芝居。見てる人はあまり気付かないかもしれないが、描くのが大変で更にうまく描く事ができて初めてごく普通に見えるのがこういう日常芝居。ただこういった課題に挑戦するつもりで始めたが結局時間に追われてしまった。72カット頑張りました。
8月 ビデオ 天地無用Vol.5
      (作画監督)
れっきとした作画監督として「天地」に漬かる事になった一作目。
この後数年間に渡り「天地無用」と付き合う事になるとは、この時は思ってもいなかった。この巻で演出をしていた氏とはこの後
「八犬伝ー新章ー」でも付き合う事となる。かなり引き摺って終わりを見たのは翌年の1/20である。この日徹夜明けのままかみさんの待つ福島まで車を飛ばした。大晦日もスタジオの自分の机の前で『ひとり・きりたん
ぽ鍋』を食べて机で仕事をしながら元朝を迎えた。若かッたっすゥ。

戻る1993ー1995